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一部の講演会場所を公開2


第47回 心を育てる教職員の集い (2004年8月7日)


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この日、心を育てる教職員の集いの皆様
から依頼を頂きまして、天理に行くことに
なりました。全国からの参加者が集まる場での講演は初めての経験で、舞台に上がるまでは異常なくらいに緊張をしておりました。
しかし、こんな素敵な場に立たせて頂いた以上、とにかく自分にできることをさせて頂こうと努めさせて頂きました。
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熱い視線を感じはじめました。やっぱり、
聞き手と話し手が合うと会場が一体化して、
堅苦しい場から一気に楽しい場に変わるもの
なのだと思いました。僕自身もリラックスでき、
本来の自分を出すことができました。
これも全て皆さんのおかげだと思っております。
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そして、話が後半に入り、皆さんの表情
から、笑顔が一気に消えました。
人に話したくはない部分、けど、話さないと、この現実は誰にも気づかれません。気づいていないのではなく、見ようとしない「差別」や「いじめ」の現実。
けど、僕は諦めません。目を向けてくれるまで、話し続けます。そんな気持ちで話をしていると皆さんは我が子のように僕の話を聞いてくれました。
本当に感謝しています。
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人権講演家 そして、講演終了後に交流会がありました。
とにかく楽しかったです。久しぶりにこのまま時間が止まればいいのになっと思えたひと時でした。それから話が進み天理を出た時にはもう朝の5時でした。その中で、数百名の方と会話をした記憶があります。もちろん顔も覚えております。また、会える機会がありましたら、是非とも会いたいと願っております。本当にありがとうございました。



大内山小・中学校(2004年12月6日) & 大河内小学校(2004年10月5日)

この日、人権講演会で、大内山小・中学校の皆さんに会いに行きました。1時間半の話にもかかわらずみんな一所懸命聞いてくれました。本当にありがとうございました。
講演終了後には交流会が開かれました。その中で、ブラジルのホバ・バンディーラ(旗を盗め)やブラジルのジャンケンをしたりして、遊びました。
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人権講演家 交流会終了後には大内山中学校3年生のクラスで給食までごちそうになりました。
そのあと、5・6限目は3年生の授業に入らせて頂きまして、講演では話せなかった話などをさせて頂きました。そして、話が盛り上がり、気がつけば朝から16時まで居ました。本当に楽しい一日を過ごさせて頂きました。
この日は大河内小学校の皆さんに会いに行きました。普段は講演後の交流会が多いのですが、低学年の子どもたちが帰宅しなければならないということもあって、交流会が先に行われました。 人権講演家
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子どもたちはホバ・バンディーラ(旗を盗め)とブラジルジャンケンを一所懸命、楽しみながらしてくれましたので、お礼にちょっとしたパフォーマンスショーを披露しました。 人権講演家



三重県かたつむりの会 (2003年12月4日)


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   かたつむりの会
   当日、会場の入り口に貼っ
  てありました。
   辻先生直筆です。
   今でも大事に僕の
    部屋にしまってあります。

かたつむりの会を紹介します。

「かたつむりの会」は三重県紀勢町にあり、5年前に発足。保護者と共に同和教育を学ぶ場を作っていこうということで、当時の同推教員が始めたものです。学校で子どもたちに正しいことを教えても、家庭で間違ったことを伝えては逆効果であり、より深い差別心が子どもたちに育っていくことになると考えたそうです。目的は部落差別を解消していくことです。
自分のコメント

この日はデジカメもビデオカメラも持っていきませんでしたので、皆さんにお見せするものがありません。とても残念です。

本当に素晴らしい会でした。普段から呼ばれる場所のほとんどが、在日世界人の生徒がいるので、在日世界人問題について学習したいという学校教員の依頼がほとんどでした。
ところが、この会から依頼された時、本当に驚きました。在日世界人の子どもは一人もいないと言うのです。それに、参加するのは子どもと教員と保護者で約100人くらい。

そして、講演当日には70%以上の保護者が出席していたということが、あとからわかりました。皆さんの熱心な人権啓発活動に関心すると共に心より感謝します。

当日は広くてとても綺麗な会場でした。なにより、真剣に話を聞く皆さんの視線が僕を圧倒して、思わず緊張してしまいました。
また、この依頼がきっかけとなり、僕は教員以外の方々にも聞いてもらえるような講演にしていこうと決意しました。その後、工夫を重ね今ではおかげさまで、教育現場以外からも様々な依頼が来るようになりました。

その後、「かたつむりの会」のつながりからいくつかの依頼が届きました。どの現場も一人ひとりがあつく出迎えてくれました。皆さんとの出会いは本当に素晴らしかったし、これからも皆さんとの出会いを決して忘れることはありません。本当にありがとうございました。
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   会場の壁に貼ってあった
   ものです。
   辻先生直筆です。
   あんまりにも綺麗だった
   ので、後日、辻先生に
   お願いをして、
   送ってもらいました。

依頼の経緯

正しいことを知ることは、自分の幸せにつながる。偏見をもった生き方は、人も傷つけ自分も不幸にしていくことに気づいてほしい。その中で、この人にお願いしたいと全員が強く思ったのが「具志アンデルソン飛雄馬」さんである。世界人差別についての学習となると、紀勢町では、世界の方に出会うことが少ないので、遠い差別を学習することになってしまうのではないかという心配もあった。しかし、自分達も子ども達も、少しこの町を出ると世界の人達に会う。松阪の高校に行った子どもが、同じクラスにいる世界の子どものことを話す。町で見かける人達のことを話す。話の内容に差別的なことが入っていて、その考えはおかしいと言えても、何故なのか、世界の方のことを知らない私達は、なかなか答えられない。日常生活の中で、なかなか話すことが無い人達・・・でも、自分たちが見かける人達が、日本でどんなことに戸惑いどんなふうに考えているのかを知ることが必要なのではないか・・・。また、どんな差別も根は同じなのかもしれない。具志さんにお願いしてみようということになった。



大阪センテニアル ワイズメンズクラブ (2003年6月7日)

照本祥敬氏(中京大学教授)

シンポジウムは、まず照本さんから、「子どもの権利条約とマイノリティーの子どもたち」をテーマとして、わが国における現状についての話をお聴きした。
子どもの権利条約は89年に国連総会で採択されたもので、子どもまたは親の人種・皮膚の色・言語・出生・その他の理由による差別の禁止、子どものアイデンティティや言語を尊重した教育の保障、少数者の子どもの権利尊重などが規定されている。日本政府から第1回報告が「国連・子どもの権利委員会」に提出され、それに対して同委員会から、多くの点についての懸念と勧告を含む所見が出ている。
照本さんは、アメラジアンの子どもたち、世界人の子どもたちや、在日韓国・朝鮮の子どもたちのおかれている差別的状況をかねてから指摘されている。「われわれの社会を豊かにするには、マイノリティーの権利を保護するという観点をわすれてはならない」という照本さんの言葉は、説得力があった。
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(照本さんから子どもたちの現状を聞く)
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(具志さんから衝撃的な実話を聞く)
具志アンデルソン飛雄馬氏
(国際化対応教育指導員)

具志さんの波乱に富む人生は、実話だけに衝撃的であった。日本人がもつ「比べる、みんなと違う、おかしい」の意識が、差別・排除につながっていることを、きびしく指摘された思いであった。
当日のニコニコ献金36000円は、具志さんの事業に役立てていただくことにした。

一部の感想

TVで見るドラマはある程度オーバーな筋書きだと思って見ておりました。具志さんの体験談から、それよりももっと厳しい残忍さで、しかも子供たちによって行われていることに衝撃を受けました。具志さんの今後のご活躍によってこの子供たちの苦しみが少しでも軽減されるよう念じております。
自分のコメント

この日は年配の方がほとんどで、今までに経験のない雰囲気でしたので、かなりの緊張状態でした。
流れとしては照本先生が話してから僕の出番ということになっていたのですが、僕の出番が近づくにつれ、おしっこが漏れそうになり、いきなりトイレ?と言える雰囲気ではなかったので、必死で我慢しました。すると、突然僕の出番になったのです。どうしようかと必死で我慢しながら、話し始めました。
それから、話し続けているうちに皆さんの温かい視線が僕の緊張を徐々に和らげ、気がつけばおしっこのことも忘れ、マイペースで話しておりました。
話の途中から、涙を流す人も数人居て、その姿を見た僕も思わず泣きそうになり、終わってからも皆さんの興奮がおさまらずどんどん声を掛けてくれました。
最初は自分の勝手なイメージで緊張していたのですが、やっぱり人間はイメージで決め付けるものではないと改めて思い知らされ深く反省させられました。
本当にいい出会いをさせて頂いたことに感謝します。
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(話に真剣に耳を傾ける人たち)



愛知県「外国人との共生を考える会」 (2003年11月9日)

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(熱心に話す具志さん)
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(衝撃的な手紙を読む具志さん)
自分のコメント

約2名、寝ている方も居たのですが、あとの方々は熱心に話を聴いてくれました。ある人からのコメントで「非行に走っていた時の話、すごい迫力で語ってましたよ!」思わず笑ってしまいました。
講演終了後は少し休憩を入れてから討論会が始まりました。討論会の中身は在日世界人問題に関する深い問題までを討論しました。熱心に討論する皆さんの姿勢に関心しました。
本当にありがとうございました。
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(講演終了後の討論会)



岐阜県・新しい隣人とともに生きるためのシンポジウム (2003年11月29日)


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(プロフィールに使っている写真です)
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(広くて立派な会場)
自分のコメント

実はこの日、僕は講演依頼ということで、行ったわけではなかったのです。本当は一人のパネラーとして参加して欲しいという依頼でした。しかし、せっかく岐阜県美濃加茂市に行ったのですから、少し時間を頂きたいとお願いをした結果、50分だけ頂きました。結局、第2分科会では80%もの時間を使ってまるで、講演会をしたような感じになってしまいました。そのため、あとに順番を待っていた方々の時間が無くなり、5人ぐらいの方が最終的に発言をすることができなくなりました。本当に勝手なことをして申し訳ありませんでした。お許し下さい。

一人のパネラー講演がスタートし、途中から、何人かの方が涙を流していることに気づきました。正直、自分の過去を人前で話すことはとても辛いです。ですから、講演前日に気持ちの整理をしてから、講演をさせて頂いております。それでも何人かの方が涙を流しているのを見ると、つられて思わず泣きそうになりました。

最後の交流会もとても楽しかったです。その中でいろんな方と名刺交換をしながら、会話をしたのですが、50枚以上持っていた名刺も足らない状態になったのははじめてでした。
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(真剣に話を聞く人たち)
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(シンポジウム終了後の交流会)



三重県・人権講演会 水産高校 (2003年11月25日)

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1.(懸命に聞く生徒たち)
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2.(俺はJAPANESEなのになぜ?)
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3.(1時間半が過ぎてもこの姿勢)
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4.(最後に皆でジャンケンをやろう)
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5.(ブラジルのジャンケンをやる生徒たち)
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6.(優勝した彼女には記念にブラジルの紙幣をプレゼントしました)
自分のコメント

高校からの依頼は水産高校が2回目でした。それに全校生徒300人以上。とにかく緊張で戸惑いながら、本当に話せるのか?と不安でした。けど、依頼を引き受けたからには中途半端ではダメ!と今までの講演活動を振り返りながら、感想文も一枚づつ読みました。中・高生徒の一番多い感想は「また、人権かよ!」というマイナス的な捉え方だった。本来、誰にとっても身近で大切な人権なのにどうして?と思い悩んでました。しかし、悩むだけでは問題解決にならないので、とにかく自分の講演に工夫を加えてみようと思いました。そこで「目で見る・聞く・参加する・体験する」などのことを実現させるためにパソコンを使用し「映像・音・画像」を入れ、新たな人権講演を試みた。
講演当日、90分の話でした。後日、担当の先生から感想文を送って頂き、早速、読みました。一番多かった感想は「また、人権?と思いながら体育館に入ったけど、講師の話が始まると今までとは違った講演だった。」「あっという間に90分が過ぎた」「いつもの難しい人権講演とは違って、スクリーンに映像や画像も出て、それに本人自身の実体験なので、説得力があり、わかりやすかった」だった。
もちろん不十分な点や反省点もいっぱいありましたが、おかげさまで、1時間半が過ぎても生徒たちは懸命に話を聞いてくれました。
水産高校の皆さん、本当にありがとうございました。


以上、一部の講演先を紹介させて頂きました。

2002年からの講演活動も4年になり、206件の講演が終わりました。本当に数多くの素晴らしい方々と出会うこともできました。世界人口は約64億人です。よく考えれば僕が70年生きたとして、毎日一人の方と出会ったとしても、約2万5000人です。そう考えると、この4年の間だけでも、数百・数千名の方と出会ってきました。これも、全て皆さんのおかげです。本当に感謝していますし、僕は幸せです。
2006年からも一人でも多くの方々に伝えるために頑張り続けますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

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