体験談1
僕の7年間を返せ!(S.K)男
僕は長野県に住む18歳です。
日本に来日したのは7年前です。
当時、兄弟3人、母、父の家族5人で、日本に来日したわけですが、
日本語は全くわかりませんでした。
来日してすぐ学校に通うという話になったわけですが、
日本語がわからないという理由から僕は小学校3年生に入ることになりました。
そうです。12歳で小学校3年生でした。
当時は日本語がわからないので仕方がないと思っていましたが、
中学生になってから悩むようになりました。
同じクラスの仲間たちと話が合わないのです。
みんながガキっぽく見えて学校生活は全く面白くはありませんでした。
中学校3年生の時もとても辛い思いをしました。
なぜなら、もう18歳なんですよ!
アルバイトがしたくても中学生だからダメ、
原付や車の免許が取りたくても中学生だからダメ、
もう冗談じゃないですよ!
誰が僕の人生を狂わせたのか未だにわかりません。
とにかく憎いくそったれ日本人
いくら日本語がわからないからって3年も遅らせることはないでしょう。
今年で、やっと中学校も卒業できて、
今は働きながら定時制の高校で勉強をしています。
定時制ではいろんな年齢の方が勉強していますので、
年齢の差は感じなくなりました。
ある意味、3年遅らされたから日本語がペラペラになったのかも知れません。
しかし、3年も遅らせなくても日本語の能力はついていたと思います。
本当に辛かった。もう途中で中学校を諦め、仕事をしようかと
思った時期もあったが、親が必死で止めていた。
学校のことについて親と何回喧嘩をしたのか、
数え切れません。
けど、親が止めてくれたおかげで、
今の高校に進学することができました。
今はとにかく無駄に過ぎてしまった時間を取り戻そうっと頑張っています。
とても楽しい学校と仕事を見つけることができたので、
今はとても充実した毎日を過ごしています。
皆さんへのお願い
外国籍の子どもを学校に受け入れるとき、
他人事のように決めないで下さい。お願いします。
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体験談2
俺は泥棒じゃない!(P.S)男
俺は2歳の時から日本で暮らしていたと親から聞きました。
保育所からずっと日本の子どもたちと一緒だったので、
みんなと違うなんて感じたこともありません。
しかし、小学生になると悲劇の始まりだった。
なぜなら、いろんな保育所または幼稚園からの子たちが一つの小学校に
入学するからです。
なぜか、最初に「外人だ〜」と言われました。
その次は「何でそんなに色が黒いの?」
そして授業中に本を読むとき、発音がみんなと同じなのに
周りから文句をつけられる。「あいつの発音はおかしいぜ〜」
もうなにがなんだかさっぱりわからなかった。
結局、その後、学校に行っては休むの繰り返しだった。
先生も親も誰も気づかなかった。
中学生になったとき、俺を「外人」と呼ぶやつがいたら、
とにかくボコボコにやっつけてやったよ!
中学校を卒業してからは高校へ行くことも考えず
仕事をすることも考えていなかった。
もちろん悪いことをするしか脳のない人間になってしまっていた。
どんな悪いことかって、それは書けません。
鑑別所と少年院にも入りました。
それでも誰も理解してくれない。
時には買い物をしにデパートへ出かけたりもします。
だけど、どの店の店員もぶっ殺したくなる。
みんなが泥棒みたいな目で見てくる。
しかも後ろをうろちょろ着いて来る。
もう誰かなんとかして下さい。
自分は本当に生まれてきてよかったのだろうか。
ちょっと前までは自殺を考え、何回も死のうとした。
けど、失敗に終わった。
今はとにかく、ぼーーと生きてます。
もうすぐ20歳になりますが、
何も考えていません。
いや〜考えても日本では何もできないような気がする。
一つだけ聞いてもいいですか?
「外人」という言葉は一体誰が考えたのですか?
誰か教えて下さい。
俺は「外人」「黒い」と言われれば誰であろうっとボコボコに殴ってやる。
とにかく日本は閉鎖的な考え方をもつ国民だと思う。
確かに中には良い人もいると思う。
けど、一度、差別をされるとみんなが同じように見えて仕方がありません。
誰も信用できません。
この先はどう生きていけばいいのかわからないが、
何とか生きています。
日本もいつか国際的な意識に変わることを願います。
なぜなら、みんな同じ人間だから
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体験談3
外国人差別をしていた。(G.E)男
僕は日系3世ブラジル人です。
日本に来日してからちょうど10年になります。
当時は外国籍の生徒も少なく本当に大変な時期でした。
日本人見たいな顔をしていても、言葉がわからないだけで、
お前は俺たちとは違うと言われ「外人」と言われ「国に帰れ」とよく言われました。
なぜ、言葉、文化、国が違うだけで、こんな差別を受けなければいけないのか
全くわかりませんでした。
おじいちゃんとおばあちゃんはみんな日本人でした。
そのことからブラジルではJAPANESEと呼ばれていました。
なのに日本では「外人」と呼ばれ理解できませんでした。
いろいろと考えたのですが、
日本語が話せるようになったら、きっと差別は無くなると考えた僕は
必死で日本語を勉強しました。
当時は小学校4年生でしたが、
中学生になるまでの2年間で日本語もかなり理解できるようになりました。
しかし、日本語がわかるようになってから差別は余計にひどくなりました。
今度は日本語が理解できるので、
聞きたくない言葉まで、全部意味がわかるようになったのです。
実際の日本はおじいちゃんから聞いていた日本とは大きく異なっていました。
おじいちゃんからは素晴らしい国だよ!と聞いておりました。
けど、おじいちゃんの話は嘘だった。
それでも耐えに耐えて高校に進学することにしました。
けど、いくらなんでも高校でまた差別を受けるのはいやだった。
自分は日本人みたいな顔をしてるんだし、
日本語も理解できる。
名前も日本名だったら、差別を受けることがなくなると思い
高校では通称を使い自分がブラジル人であることを隠すことにしました。
高校に進学したとき、
他にブラジルの生徒が二人いました。
二人とも十分な日本語の能力がなく困っていたみたいですが、
僕はその二人を避けていました。
ブラジル人が嫌いになっていたし、
自分がブラジル人であることも憎んでいた。
ですので、その二人も僕がブラジル人であることを知らなかったと思います。
ある日、友だちが僕に言いました。
「なぁ、なぁ、あいつら外人やで〜怖いな〜刺されそう」
僕は同じ国の人間なのにとんでもないことを言ってしまいました。
「本当やな〜怖い〜怖い〜外人は何かしてきそうで怖いわ」
今思えば人間として最低なことをしてしまったと反省しております。
結局、自分を隠し通すだけでは何も解決しないことを知り、
今はブラジル人であることに誇りを持ち戦っています。
本当にごめんなさい。
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体験談4
後が怖くて先生に言えない。(A.C)女
私は小学校5年生の時に来日しました。
最初は日本語が全然わからず苦労しました。
今は中学校2年生なのですが、
日本語が全く上達していません。
それに私は先生、生徒、日本人が大嫌いです。
今も日本人の友だちはいません。
作りたいとも思いません。
中学生になったとき、
周りの子たちが私の顔を見て笑っていた。
そして、後ろから頭を叩かれることは日常茶飯事になっていました。
1ヵ月後には女子のグループが私を壁に押し付け、
叩いてきました。
そんなことを私は今まで誰にも言えませんでした。
なぜ、言わないの?と思われるかも知れませんが、
先生や保護者に言ったところで、
何かが変わるの?誰かが何かを変えてくれるの?
結局、言えば「いじめ」が無くなるどころが、
余計にひどくなることが私にはわかっていました。
だから誰にも言えなかったのです。
ある日、我慢できなくなって思わず言ってしまいました。
怖かったけど、なんだかスッキリした。
私の問題は未だに解決していないが、
誰かに話すことはとても大事なことだと思いました。
けど、先生に理解して欲しい。
私は日本人みんなが敵に見えてしかたがありません。
だから、先生に言えばみんなにいじめられると思えてとても怖いです。
私は今も差別やいじめを受けながら戦っています。
中学校を卒業したら、高校にも行きたい。
けど、高校ではどうなるのかと思うと不安で胸が一杯です。
先生たちにも真剣に考えて欲しい。
そして私たちの現状をもっと理解して欲しい。
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